昭和20年6月1日
加茂 良夫
筑波空
筑波基地から香取基地へ「紫電」を空輸するため、ミストの濃い悪天候をついて離陸。途中視界不良のため霞ヶ浦北方の山中に衝突し殉職。
昭和20年6月2日
廣田 優男
九〇三空
「敵潜水艦、津軽海峡に潜入」の情報を受け零式水上偵察機にて索敵のため単機出撃。
数時間後、天候悪化・視界不良により基地に「攻撃中止」を発令し帰途についた。基地目前にてバランスを失い松林の中に不時着し戦死。
昭和20年6月6日
山岡 照海
七六二空
「銀河」に乗り組み美保基地から大分基地に向かう途中、
エンジン不調により愛媛県柳谷村上空で殉職。
昭和20年6月9日
田中 正
一三一空
南西諸島方面にて戦死
同期生追悼歌
国の為散りし友がら慰むる すべなく年へ吾は老ひ行く
山みれば古鷹の尾根思ひ出づ 汗にまみれし友の顔とも
昭和20年6月17日
清水 晃
二五二空
茂原基地からでB29邀撃のため零戦で出撃、関東東方海域にて戦死
昭和20年6月20日
久原 高明
九三一空
南西諸島方面にて戦死
昭和20年6月22日
菅野 尚
二一〇空
B24の索敵攻撃に出撃し伊良湖岬南方海面にて交戦。敵の一弾が増槽に命中し火を吹いたまま射撃を止めることなく海上に落下、戦死
昭和20年6月23日
榎本 修三
六〇一空
敵機空襲の迎撃に出撃、P51と交戦し被弾のため戦死
壺倉 辰夫
二〇三空
「敵機来襲」の報に出撃しB29一機を撃墜し基地へ帰投
「P51房総半島北上」の報に再出撃、
敵機を索して密雲に突っ込み香取基地へ真直ぐに自爆
昭和20年6月26日
中塚 眞言
七六二空
南西諸島方面
ご母堂ご詠句
あきらめてまたあきらめる夜半の虫 吾子待ちて落葉に目覚む幾夜かな
昭和20年6月28日
肥田野 清
二一〇空
明治基地にて編隊空戦訓練の終了後、編隊集合しながら基地に向かっていた時に、三番機に接触されて墜落。
落下傘降下したが空気をはらまず、地面に静かに横たわるように死んでいた。
昭和20年7月10日
嶋田 孝
三三二空
「P51の大編隊接近」の報に離陸、超低空で明石上空にさしかかった時、上空にP51四機が降下、不利な状態から機首を敵に向け反撃に出たが、 会敵時の不利は如何ともし難く戦死。
昭和20年7月21日
天野 重信
七〇六空
宮城県矢本基地にて戦死
ご令兄ご詠歌
一筋に国のためとて散り行きし 汝が面影に涙するわれ
朝夕に合掌しては念ふなり せめてわが子を君に似せよと
昭和20年7月28日
風木 榮一
八〇一空
大和基地から索敵に出撃、未帰還
四国南方海域にて戦死せるものと認定
島津 裕
七五二空
木更津基地から索敵に出撃、未帰還
昭和20年7月30日
和田 博行
一七一空
擬似赤痢の診断で鹿屋戦闘治療所に入室中、一機のグラマンが屋根の赤十字も明らかな治療所にロケット爆弾を投下、入室中の部屋の天井で爆発し戦死。

青柳 光吉
三三二空
米艦載機による伊丹空襲のため、逃げ遅れた隊員を誘導して一番最後に防空壕に入るも直撃弾を受け戦死。
